視線Part2 2024/12/12

前回お話した続きで視線Part2を書こうと思います。今年の夏頃、久々に動物園に行ったのですが今までの自分が抱く気持ちとは全く異なる感情が湧き上がり自分でもビックリしてしまいました。

それは動物園は本来の動物の状態を奪ってしまっているということ。

ライオン、チータは全速力で走る経験もないまま生命を終えるのでしょう。狭い敷地のなかでガラス越しに朝から夕方まで人間にジロジロ見られる苦痛。

本来動物はジロジロ見られる為に生きているわけではありません。人間の勝手な都合で展示され陰に隠れようものなら『見えな~い』と言われ…実に動物にとってストレスなんじゃないかなと。。。(そういえば昔バラエティー番組で透明な家に何日か芸人が住んでみたらどうなるか?というのをやっていて、最初はおちゃらけてても日に日に皆おかしくなって見られることに苛立ちと精神的苦痛を感じて耐えられなくなっていったのを覚えています)

ですので私は殆ど動物を見ることなく原っぱに座ってボーッとしていました。もう動物園に行くことはないかもしれません。行っても見る時はこちらがむしろ隠れ気味にそーっと見てサッと立ち去る。そんな配慮が必要かなと。

しかし子供の頃は実際に実物の生き物を見たり触れたりということは大切な経験ですので一概に私の考えを押し付ける気はありません。

視点を変える事で物事って本当に見え方が変わります。ひとつの事を様々な立場に立って考えることは気付きも得られるし自分勝手な事も考えにくくなるので争いも減ると思います。

試合やライブ、お祭りなどはギャラリーがいないと盛り上がらないですし視線が必要なものもありますしね。

では花や木などは視線が必要?

私の見解としては、『どっちでもいいよ!私たちはただ精一杯生きるだけ!抗わないさ!』という声が聞こえてくるような感じがします。(日々様々な道端の植物や木、阿紀子・整体にある花に話しかけ続けた結果そういう考えに至りました)

不必要に燃やされたり切られたり踏みつけられたりしたら怒りますが、こちらの想いを実際に話しかけたりテレパシーで伝えれば通じると思っています。

そういえば今年の夏の草むしりでも不思議な体験したんだった(;^_^A

これもまさに植物に想いが通じたと感じたエピソードなのですが今日は長くなるのでまた次回!

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