まだ今の世の中でも七夕があることにホッとします。日本の独自の季節行事全般に言えることですが。
しかし近頃の日本は風流とか余韻とかそういうのを忘れてきてしまっているように感じます。
たしかに暑すぎる。それは認めますし事実。扇子よりも小型扇風機で涼をとる。
除夜の鐘、風鈴の音を騒音として捉えてしまう…
蚊取り線香も下手したら煙がくさい!といって苦情が来たりして(・・?なんだかなぁ~…
さて七夕といえば短冊に願い事を書いて笹に吊るしますね。書道教室でも短冊に各々願い事を書くことになり私は世の中に向けての願い事にしました。
『人間が考えることをやめませんように』と。
テクノロジーはあまり好きではないですが一応世の中の流れは把握しておかなきゃなと思い今話題のチャットG〇Tを試してみました。ちょっと聞いただけなのに実にそれ以上の事まで教えてきます💦私としては『そこまで聞いてないし💦』と思ってしまったのと、これを使うのは大学生を終えた(少なくとも高校生まで)後からにしたほうがいいと思いました。
あんなに聞いてもいないことまで言われると自分で他の可能性を考える機会を失い何でも聞くようになってしまうのと覚えておくという頭の機能が衰えると感じたからです。
そしてAIのほうも相手に合わせて口調を変えたり、基本相手の気分を害さないように肯定しながら伝えてくる始末。
実生活では自分の事を肯定してくれる人ばかりではありません。幼い頃から、そんなコミュニケーションばかりしていたら生身の人間と話すのが怖い(予想もしない展開になったら自分で瞬時に対処しなくてはならない)or面倒くさいとなりそう(生産性のない話を延々と相手にされたり)…相手の話に被せてしまったり(空気も読めない)、抑揚をつけて話すという機能も衰えそうです。
今は電話で話すのも苦手な子達も多いみたいですね。それでいて心は寂しくなっていたり…
チャットや文章だけで『大丈夫だよ』と言われるのと、
目の前で笑顔で相手の身体にふれて『大丈夫だよ』と言われるのとでは、どれだけの安心感の差があることでしょう。
私は人々が安心感と希望を持って生きていけるように、そして日々のなかで楽しい!と少しでも感じる瞬間がふえるように阿紀子・整体を通して貢献していきたいです。
みなさんを大切にします。