会話というのは、話す人、聞く人がいて成り立ちます。
心地よい会話とはなんなのでしょうか?
うなづくタイミング、回数、言葉と表情が一致している、視線の合わせ方と秒数、テンポ、声色、言葉遣い、ユーモラス、語彙力…
それぞれ重視するポイントは違うと思います。なにが正解ということもありません。
しかし最近思うことは『相手の話をちゃんと聞く』という事が出来ていない人が多いなと…
人は基本話したい、わかってほしいという生き物ではあると思います。でも一方的にずっと話してしまうと損してしまうというか、せっかく相手が、その事にたいしての大切な想いを伝えようとしてくれているのに、その隙すら与えないのでは聞く方は聞く気も話す気もなくなります。。
それとセットで大切なことは、待つこと。
待てないから一方的に話続けるということもあるかもしれませんね。そして早く相手が答えられないと『早く言ってよ!』と言わんばかりに…
自分の意見が絶対正しいから主張し続ける…
絶対ってなんなのでしょうか?結局自分の基準なだけ。100人中100人が一つの事柄に対して同じ答えではありません。
なんだか書いてて息苦しくなってきてしまいました(;^_^A
争いは自分が絶対正しいと他を認めないところから始まるといいます。「え?そういう考え方もあるんだ~、なるほど!ちょっと取り入れてみてもいいかも」と興味と理解を持ってみる。お互いにとって新たな道が開けるかもしれません。
相手に話すタイミングを与えれば「そんなふうに思わせちゃってごめん!実はこういう考えでこうしたんだけど…」など実は自分が思いもしない予想外な返事が返ってくることだってあるのです。決めつけちゃうと、その言葉すら聞けない。
流暢に話せる人もいれば、言いたいことがあるのに頭の中をグルグル回ってなかなか言葉にできない人もいる。でもそういう人が絞りだして発した言葉はぎゅっと詰まっている。その言葉から広げて汲み取ってあげればいい。
しかし、かく言う私も昔は待てない人で苦虫嚙み潰したような顔になっている相手に対して返答を迫ったりしていた過去があります。。
「なんで何にも言わないの?何か言ってよ!」と…
相手はさぞかし辛かったと思います。言葉で表せないかわりに頭を掻きむしっていましたから。
今となってはもうそんな酷いことは出来ません。これも数々の会話の失敗や経験を経たからこそです。
歳を重ねればわがままになるのが当たり前?子供は言葉を知らない?だからしょうがない?
そんなことありません。
今の自分で納得しているのなら、それはそれでいいですが、もし変わりたいと自ら思うのであれば変われる。
どうか自分の事も、人の事も、決めつけないでください。