昨日は茶道のお稽古、年内最終日でした。
そして私自身の茶道のお稽古も一旦、無期限で休止することにしました。
決して茶道が嫌いになったわけではなく本当は今までのまま同じ先生で続けたいのですが…
昨日は感極まって泣いてしまったらどうしよう💦などと考えたりしましたが、いつもどおりにやれたので良かったです。
不思議なんですが稽古の途中から、また何年か後に同じ先生のもとへ習いに舞い戻っている予感がしてきました✨
だから辞めるじゃなくて休止だなと。
そしてふと思い出したのが私の大好きなマドモアゼル愛先生のお話で『インターバル』という概念。
人は今まで続けてきた事をやらなくなったり辞めてしまうと、もうそこで何もかも終わってしまったと思いがちだが、
物理的な動作は止まっているが情報の伝達はその間に行われている。
ずっと休むことなく走り続けている人を見ると『凄いなぁ』と思うけれど(勿論凄いのですが)何もしない空白の時代もあってもいい。
よりクオリティが高くなるための時間だ
というお話。
確かになーと思いました。
若い頃シンガーソングライターを目指してボイトレやピアノのレッスンに励んでいましたが、その頃よりも今の方が声が出しやすいのとインナーマッスルがしっかりしたので語尾の扱いが丁寧になりました。
ガンガンに歌い込むことが練習ではありません。
もしかしたら今またパンを作ったら昔では想像もつかない視点や考えで取り組むかもしれません。
きっとそういうことです。
身体動作のお稽古でも先生に言われましたが『もっと自分の身体を信頼して』と。
俗に言う、『当てようと思うから当たらない』っていうのも一つの例でしょうか。
あれこれこねくり回すよりも気持ちのままスッとやった物のほうが良かったり…
でもある程度の最低ラインの基本ができた上で言えることですけどね☺️💦
10年続けた茶道を休止することで、色々見えてくると思いますが、また舞い戻った時にどんな変化を感じられるのが楽しみです♪
利休道歌 『稽古とは一より習ひ十を知り 十よりかへる もとのその一』
※稽古とは一から順に二、三、四と十まで進み、また再び初めの一から順に進む。
初めて一を習った時と、その習う心はまったく変わっている。これを何回も繰り返しているうちに茶道の真意も理解できる
↑私が好きな一首です。
最後のお稽古でもそれを唱えさせてもらいました。